一昨日はSlidelの税理士を訪ねた帰り(彼女はChalmette
の大きな家に住んでいたが,今はその辺りは居住不
可能なので, Slidelのトレーラーに住んでいる。税金
申告の時期が終わりーーただし、ハリケーン被災者
は8月末まで罰金なしで猶予されるーーー、漸く保
険がおりたので、あと2、3大きな仕事を片付けた
ら、ルイジアナの北の,水が入らない地域に家を探
すつもりらしい)、Pontchartrain Parkという辺りをみて
廻りました。フェアグラウンドのあるGentilyと、New
Orleans Eastの中間に位置する,裕福な地域です。ゴル
フコースや、Southeran Universityがあります。
しかし、以前は裕福な、きれいに整備されたところ
だっただけに、かえって悲惨に移りました。水は5
フィートから,多い所は8フィートくらい入ったの
でしょうか。湖からすぐのところですが、道ががた
がたで、ひび割れていました。ごみは比較的かたづ
いていましたが、寧ろ、片付けていない人が多いの
では、と思わせるような埃っぽさでした。
他の地域では、Eastでさえ、トレーラーがもう少し
見えるのに、ほんの数えるほどで、人も車もいませ
んでした。
更に昨日は、Metairieへ行った帰り、被害の大元であ
る、17th Street Canalの辺りを見てきました。写真では
見ていましたが、本当に堤防が壊れたあたりは、今
も大して変わらない有様です。屋根の辺りまで水の
線があるのは仕方ないとして、家の側面がぐわっと
えぐられたようになっているのには、水の勢いの恐
ろしさがうかがえます。道はここも、がたがたに
なっていました。しかし、片付けるひとたちや、堤
防、道の工事をしている人たちはいます。橋ひとつ
渡ったむこうのMetairieではなんの問題も無く日常生
活をしています。
堤防の周りは家を売りに出している人も多いいです
が、SOLDの表示は見られません。決壊地点のすぐ側
の家には「Allstate(大手の保険会社)はこの家に1
万ドル余りしか払わなかった」という旗がひらめい
ています。洪水前なら、あの大きさの家なら、50
万ドルくらいするでしょうね。「今回の水は、大雨
で起こった洪水ではないから、洪水保険はカバーし
ない」という馬鹿げた言い逃れを聞きましたが、そ
の口でしょうね。あの辺り、みんなレンガ作りだか
ら、なんとか建物は残っているわけで、9th Wardのよ
うに、昔からの木造の家だったら、ひとたまりもな
く崩れ落ちているでしょう。
堤防の向こう側では問題なかった、というのは、堤
防の作り方の違いです。向こう側はコンクリートの
壁の外側が土手になっていて,土が壁を支えている
のですが、こちら側にはその土手がなく、堤防沿い
の道もなく、すぐ内側に家が建っています。「うち
の裏庭のところが決壊した」というのは,本当なの
です。家の後ろ側の塀が急に壊れて水がどどっと
入ってきたようなもんです。1年に1回される筈の
堤防検査が杜撰だった原因のひとつはここにもあり
ます。検査するのに、一軒ずつまわって、裏庭に入
らなくてはいけなかったのです。
これは、London Canalの辺りでも同じ事です。車が漸く
通れるくらいの道はついてはいますが、壁を支える
土手は全くなくて、すぐ内側にもう家が建ち並んで
います。壁の高さもたかが知れたもんです。
話は変わりますが、ルイジアナの南の端のほう、地
図で見ると地面はずっとつながっているのではな
く、水の中に浮かんでいるようなところに道が伸び
ているというような所に、Veniceという町がありま
す。そこから更に南の、The Villegeというところは1
6世帯、漁業で生計を立てていた人たちですが、
年々水が増えてきて、昔は道を渡ってこの沼、あっ
ちの池と出かけていたのに、今やひとつにつながっ
て、海になってしまい、このハリケーンの後,戻っ
て暮らすのは無理なようだと、新聞に出ていまし
た。ずっとそこで同じやり方で暮らしてきたという
のに。
ニューオリンズにそんなことが起こらないように願
いたいですが、水のことでいえば、地盤沈下によ
り、あと100年もしたら、この町は海の底だとい
う意見もあります。しかし,水のことを言っている
のではありません。文化のことです。
どうもこの町では,昔から、黒人のコミュニティー
をつぶそうとする動きがあるように思われます。高
速道路が通っている、Claiborneという通り、マルディ
グラインディアン初めいろんなパレードの終点でも
あります。あそこは,高速道路ができる前は、広い
道幅の真ん中に樫の木がずらっと植えられていて、
皆がピクニックをしたりする、住民にとって大事な
ところだったらしいです。その両側の地域を比べれ
ば,家の造り方なども同じで,高速道路に分断され
てしまったことがわかります。サッチモ公園にして
も、あれを作るためにあの辺り一帯の家は壊されて
いるわけですから。あそこも、フレンチクオーター
の続きのような,裕福な地域であったわけです。フ
ランス語しか話せない祖母はあそこに住んでいた
と、ハロルド・デジャンが言っていました。
70年代は、あの辺りは角ごとにクラブがあり,週
末から日曜の午後まで,バンドの入っていないクラ
ブはなく、しかも、どれも良いバンドであった、と
私のボスも言います。土曜の夜から日曜の夜明けま
で演奏して,朝、教会へ行ってそのまま午後の演
奏、という感じだったらしいですね。今や犯罪多発
地域、空き家はドラッグの拠点で、私もここ10年
くらい、日本の学生が来ても,あの辺りに行けなど
と言わなくなりました。しかしここ2、3年程は、
また白人が家を買って直したりして、きれいになっ
た道も出て来ていました。
そして、Ponchartrain Parkです。ハロルド・デジャン
は、元々は現在のDesire Projectの辺りに住んでいたが、
Project(低収入の人に、政府が安く貸すアパート)
が出来るので、Ponchartrain Parkに移ったと言っていま
した。医者や弁護士、資産を持って引退した人たち
などが住む地域です。家は南部の高床式ではなく、
カリフォルニアなんかで見られるような,地面と変
わらない高さの、レンガ作りの大きな四角い家が主
です。ミュージシャンでは、リッキー・モネ、アー
ニー・エリー、デイブ・バーソロミュー、アーマ・
トーマスなどが住んでいました。去年亡くなったレ
ジナルド・コラーのお葬式もここの大きな教会で行
われました。
それが今や人ひとり見られない場所になってしまい
ました。あれじゃ、アーニーが、今すぐ家を直そう
とはしないで、周りの様子をうかがっているのも当
然です。コミュニティーが消失しています。一人で
は帰りたくても帰れません。New Orleans Eastでは、道
によっては人が帰ってきているところもあります
が、住民の半数が帰って来なきゃ公園にしてしまう
などという案があるようでは,皆不安で帰れませ
ん。早くから帰ってきて、レストランも営業してい
るベトナム人の住む地域では、そのすぐ側に、粗大
ゴミ(今回の洪水の後のゴミ。家財道具、洗濯機な
んかも)を捨てる場所を市役所が探しているので、
ベトナム人たちは猛反対しています。
ニューオリンズや周辺のスーパーに行くと、土木関
係に安く雇われてきているメキシコ人、その家族で
にぎわっています。商品もそれに合わせてメキシコ
系のものが増えています。タワーレコードでもラテ
ン系のCDのコーナーが増えました。日本人だって,
私が20年前来た時に比べると増えています。
それはいいことです。バラエティのある奥行きのあ
る文化の方が魅力的です。元々それがニューオリン
ズの特徴です。生物学的にも、他と交わっていろん
な特質を備えた動物の方が生き残る確率は大きいの
です。
しかし、この町本来のクレオール、そのさらに大元
のアフリカの特徴が消えていったら、それはニュー
オリンズではなくなってしまいます。貧富に関係な
く,黒人コミュニティがなくなってしまったら、パ
レードも何もあったもんじゃありません。私の娘が
年をとった時に「私の子供の頃は、毎週ストリート
でパレードがあったもんでした」などと言うことが
ないようにしたいです。
そういう意味では,市長の「チョコレート発言」が
出て来たのは当然のことです。大体あれは、マー
ティールーサーキングの日のスピーチで、その前
日、折角行ったパレードでどこかのバカが銃をぶっ
ぱなしたりしてるから、「恥ずかしいと思わないの
か、もっと自覚をもってくれ、自分たちの町じゃな
いか」というふうに話したことなのに、政治的に曲
解されて利用されてしまいました。今週の市長選で
彼が仕事を続けていくかどうかが決まります。
私が21年前に来た時、この町ではおじいさんおば
あさんが楽しそうに演奏していました。年とって
も,若い時と同じように音楽で仕事ができるなんて
すごいと思いました。だから私はここに来ました。
そして,自分もそうなるつもりでした。しかし3、
40年したとき、果たしてそういう環境が維持され
ているだろうか。政治家もさることながら、一人一
人のミュージシャンにもその責任はかかっていま
す。今や、ただ演奏するだけではなく、この文化を
ひき継いで町を守っていくという責任が、ニューオ
リンズの音楽をやっている一人一人の肩にかかって
いると思います。バンチーが、インタビューで言っ
たように、この文化をあちこちに伝えて,人々に楽
しんでもらうこと、これが今ほど大事な時はないか
もしれません。