New Orleans Eastの教会での仕事。医者や弁護士、政治家などが集中して住む辺りのせいか、道によっては皆戻ってきているところもあり。その一画の大きな教会に招かれて、サックスのマイケル・ピアスとデュオで演奏しました。
「皆の心が明るくなるように、教会の灯りはつけておきます」というPastorの挨拶があり、私も一生懸命やりました。大変喜ばれたので、またこの土曜日に参ります。
こういうふうに各自が「自分1人でやるには疑問だけど、辛いけど、皆のために敢えてやらなきゃ」という強い意志を持って事を進めないと、とてもじゃないけどやっていけやしません。
ここまでを先週、ミクシイに書いたのですが、これを読んだ友人が小さな娘さんも連れてわざわざ観に来てくれました。以下、彼女の感想ですが、あまりにも美しい文章なので、許可を得てそのまま載せます。
「バイバイ!ニューオリンズちゃーん 元気になってねー また来るからねー ジャズの練習しててねー |
演奏の後、ニューオリンズの夜の街灯りを後に、コーズウェイ・ブリッジで、私の娘が幼心に叫んだ言葉は、全くその通りで、求められている事を実際にするmariさんの姿に、幼心も感銘。 ジャズを練習する日常があって、それを待っている人々の所で演奏する。 ハリケーン・カトリーナの目がすぐ近くを通過して甚大な被害があったニューオリンズ・イーストのコミュニティーの「復活」を掲げた教会でのmariさんの演奏は、優しく思いやりのあり、熱が込められていました。 そこに集った人々からは「素晴らしい演奏有難う」とか「へぇー彼女、日本人?すごいね」などが聞えてきました。 “ニューオリンズちゃん”の一人であるmariさんの姿に、多くの大人も感銘。 心が澄むような演奏を有難う! この教会では、人の心持ちを明るくさせるイベントが次週も続いて行われますね。 mariさん、サックスのマイケル・ピアスさんの投じた一石が復興の力になりますように。 |
」
以上です。文章も素晴らしいですが、小さなお子さんの感受性が泣かせますね。
ところで、土曜の教会の仕事には読売の記者さんも連れていったのですが、早速記事にしていただきました。
この方には何度か会って話をしているのですが、今回はニューオリンズの音楽的なことなど中心に話しました。
常日頃、私が言っている、「ニューオリンズ音楽の中にジャンルの仕切りはない」「踊れる生の音楽が、人々の生活の大事な部分を占める」ということです。
実際、この仕事でも、ジョン・コルトレーンやホーレス・シルバー、ゴスペルの曲を交え、最後は聖者の行進でセカンドラインです。
9/11、火曜の朝刊に載せて頂いたようです。
以下、同じ友人Mさんの感想をまた載せます。
「 ジャーナリストである読売の記者さんは、mariさんの演奏を目を閉じて真剣に聴き入っていましたが、記者さんの頭の中にはニューオリンズの文化と歴史が駆け巡り、その文化を守ろうとする社会正義への思いも湧き上がっていたのかもしれませんね。
約130年も前のジャーナリストだったラフカディオ・ハーン(小泉八雲)がニューオリンズに強烈な魅力を感じて移り住みその魅力を伝えた事を引き合いに出すまでも無く、ニューオリンズには人間の性(さが)までさかのぼったのち生まれた多様な文化があります。
たくさんの人々によって素晴らしく醸成された文化は、やはり人々の手で守るしかありません。」
全くその通りです。文化は人々が作っていく、人々のためのもの、なのです。
このことがわからない政治家はだめです。