Levees Broke記事はホームから「Hear Me Talkin' To Ya」をご覧下さい。
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漸く時間も決まったみたい。
とりあえず自分の出演時間は
4/27 11:15~12 PM Economy Hall (自分のバンド)
4:10~5:15 Economy Hall , Heritage Hall Jazz Band
4/28 11:15~12 PM Economy Hall , John Kidd Simmons
5/4 3:50~4:55 Congo Squuare, DDBB
娘をどうやって学校に迎えに行って連れてくるか、だなーーー
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When the Levees Broke 最後まで見ました。4幕の後に、出演者のインタビューがついています。被災時の様子や、その後の保険会社とのやりとりなどーー
なんかね、要約することは難しい。内容的には難しくないが、ぼんやりしてしまって頭がまとまらない。
しかし、書いておきたい事二つ。
損害がひどくて、今や観光客が訪れるLower 9th Wardという地区。貧乏の代表みたいに言われる。確かに、高速道路から離れていて、地域開発から取り残されてる感じで、ハリケーン前からちょっとさびれていたけれど。
しかし、ここの住民は、自分の家を持っていた人たち、それも祖父母や父母から継がれて来た家が多かったということを、皆に知って欲しいーーーだから余計に皆、避難しなかったんじゃないか?自分の大事な先祖代々(まあ、せいぜい2代。3代前は奴隷制の時代)の家をほって、誰が逃げられる?
さらに言えば、この地域は国防軍の居住区のすぐ隣にあり、大きな運河沿いにあるーーー地理的には実は有利な土地だというわけで、企業家が家を直せない人たちから土地を安く買い上げようとしている。
昔からの黒人の互助組織である、social&pleasure club の一つ、Black Men of Laborの人が言った言葉。意訳。
「俺たちは自分たちが何処から来たか、自分たちが何者かを知っているんだーーー自分が誰かわからなくて、人にいろいろ言われた姿を自分だと信じている人も多いけど。西アフリカからやってきた俺たちの祖先のことーーー受け継いで来たもの、それも含めて、自分が誰かってことーーーそれがculture 文化ってもんだ。ニューオリンズにはその文化があるんだ」
New Orleans,Proud to swim home
ハリケーン後、売られていたスティッカー
先週日曜日、ハリケーン後、アルツハイマーのひどくなった母と脳血栓の発作後、歩けない父の結婚記念日を教会で祝う、という友達のために出かけた私と娘とジェフェリー。(彼の娘も来る筈だったが、支度にぐずぐずしていたので、置いてこられた)
どういうわけか、裏道を通るその友達の車の後ろをついていく。
道の脇には、洪水で屋根だけが残って土台が崩れた家。(Lower9thではない)
ジェフェリーは水の中を、子供を肩に乗せて歩いた。その子たちは水を怖がらないの?と聞くと
「初めはすごく怖がってたんだけど、アリゾナの避難先の家にプールがあってね。無理矢理、抱きかかえて水に入れたんだ。アリゾナを出る頃には怖がらなくなってたね」
1人1人が恐ろしい裏話を持ってしまった。フィルムに出たのはほんの一部分。近所の人が映画に出てるーーー娘の祖父母の家からほんの2、3ブロックの所の人が
「戻ってみたら家がなくてーーーふと見たら、道の向こう側の人んちの庭に移ってた」と言ってる。
「近所の家を取り壊してるから、思わず、『待ってよ、家族がその中で死んでるかもしれないっていうのに!』と言ってしまった」
ハリケーンがニューオリンズを壊したのではない。堤防がきちんとしていないことを知っていながらほっておいた工兵隊、堤防が壊れたのにその事実を州政府に知らせないで、その結果、残っていた人たちが逃げられなかった、その責任ははっきり連邦政府にある。住民が戻ってこられないようにしている、裏のからくりは、ちょっとニュースを見れば誰の目にも明らかに見える。
この日記は二つに分けるべきだったかなーーーしかし私にとっては、ジャズフェスも、壊れた家の修理も一緒なのだ。明暗分けられない、逃げる事はできない現実なのだ。